プルースト効果

アロマテラピーについての本などを読んでいるとたびたび出てくるwordがあります。
それは「プルースト効果」

これはマルセル・プルースト(仏)という作家が書いた「失われた時を求めて」という
とっても長い小説の中に

  「紅茶の中に浸したマドレーヌを食べた時に、突然忘れていた幼児からの記憶が呼び覚まされた」

という一節があり、そこから13巻もの長い物語が始まるのです。

 そのため香りから記憶が呼び覚まされること「プルースト効果」と呼ぶようになった、とのこと。

この長編小説を読んでみようと試みましたけど、途中で挫折しました。
なので語る資格はないんですけどね。

プルースト効果の実験があるそうです。

 米国イエール大学心理学教室のF・R・シャプ教授がチョコレートを使って行ったものだそうで、
40個の形容詞(大きい、美しいなど)のリストを見せ、その反対の意味をもつ形容詞を並べて書かせる。
そして24時間後にその反対の形容詞をできるだけたくさん思い出させる、というもので、

  それをチョコレートの香りがある時とない時で比較したところ、チョコレートの香りがある時の方が反対語の再生率がよかったそうで、つまりは「香り」が記憶を呼び覚ますきっかけとして有効に働くのではないか、と結論づけたそうです。

私的にはチョコレートは香りよりも味にフォーカスしちゃいそうな気がしますけど…

まあ、実験云々は別として、香りと思い出はとても密接に結びついている、ということは何かの拍子に感じるところではないでしょうか?

今まで思い出しもしなかった人や光景が、何かの香りを嗅いだ時に、何の脈絡もなく頭の中に浮かんだりした、という経験は人生のどこかで経験したことがありますよね。

因みに「失われた時を求めて」、私のように読破に挫折した人のための当該箇所を引用しておきます。

私がかくも悲しいおもいのまま、なおも上がろうとしているこの忌まわしい階段ではニスの臭いがツンと鼻をついたが、その臭いは毎晩私が感じるある種の特別な悲しみを吸収し、それをそのままの形で保っていた。

私の知性はそうした嗅覚のなかにもはや自らの場所を確保できず、その悲しみは

私の感受性にとっていっそう過酷なものになった。

  中略
二階の寝室に行かなくてはならないという悲しみがこの階段特有のニスの臭いを吸うことで、たちまちのうち、そいうより、殆ど瞬間的に、狡猾に荒々しく(精神を通じて入り込むよりはるかに有害なものとして)自分の中に入ってきたときに私が感じたのは、そうした安らぎの対極にあるものだった。ひとたび寝室に入れば私は、出口という出口をすべてふさぎ・・・・

そのたびに、困難な任務や大切な仕事となればどんなものからも気を逸らさせる

精神のゆるみが私に勧めた、そんなことはやめにして、気軽に反芻できる今日一日

の気がかりや明日の欲望の事だけをただ考えて目の前の紅茶でも飲んでいた方がいいと。

その時突然、思い出が姿を現した。これは日曜の朝、コンブレーで(というのも、

日曜日はミサの前には外出しなかったからだが)、レオニ叔母の部屋はおはようを

言いに行ったときに、叔母がいつも飲んでいる紅茶か菩提樹のハーブティーに浸して

私に差し出してくれたマドレーヌの味だった。見ているだけで味わうことがなければ、

プチット・マドレーヌは私に何も思い出させることはなかった。その理由は以下のように

考えられるかもしれない。

つまり、それ以後、お菓子やの棚の上で見かけることはあっても、食べたことはなかった

ので、その姿はコンブレーの日々を離れて、もっと最近の他の日々と結びついた。

これがひとつ。そして、かくも長い間記憶の埒外に打ち捨てられていたこうした思い出は

全て瓦解してしまって、あとには何も生き延びなかった。

これが二つ目ということになるだろうか。それらの形ー謹厳で敬虔とすら言える筋に隠れて、あれほど官能的なまでにむっちりとしたお菓子屋の小さな貝殻の形もそうだがーは、

姿を消すか眠り込むかして、膨張する力を失い、意識まで到達することができなかったのだろう。だが、命ある存在が滅び、事物が破壊されたあと、古い過去から何も生き延びることがなかったときでも、はるかに弱弱しげでありながら、ずっと強靭にして非物質的な

もっと執拗で忠実なもの、すなわち、匂いと味だけがなおも久しい間、魂魄さながらにとどまって、他のすべてが廃墟と化したその上で思い起こし、待ち望み、期待し、たわむことなく、匂いと味の殆ど感知できないくらい小さな滴の上で支えるのだ、思い出の壮大なる建築物を。

 そして、叔母が私にくれた菩提樹のハーブティーに浸したマドレーヌのひと切れの味を

私が認めるや否や(その思い出がなぜ私をあれほど幸福にしたか、そのときの私にはまだ

わからなかったので、その解明はもっと後までまななければならなかった)、すぐに、

叔母の部屋のある、道路に面した古い灰色の家が、私の両親のために庭に面して建てられた母屋の裏の小さな離れ(私がそれまで思い出していたのは、他と切り離されたこの離れの一角だけだった)と、芝居の書き割りのようにつながった。

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