AEAJアロマテラピー検定テキストの歴史の項目には
「大航海時代以降、大洋航海には植物学者が同行するようになります。
プラントハンターと呼ばれた彼らは、アジアやアフリカ、中南米で珍しい植物を探し出し、
採集して自国に持ち帰ります…」(AEAJアロマテラピー検定公式テキストより)
大航海時代というのは15~17世紀で、ポルトガルとスペインが世界各地、
特に東南アジアや南北アメリカ大陸、アフリカなどに進出していって植民地として
支配していった時代です。
南米大陸の各国は殆どスペイン語、ブラジルはポルトガル語になっているのを見れば
よくわかりますよね。
プラントハンターが出現したのはもう少しあと。
18世紀くらいだそうです。
ポルトガル、スペインについでイギリスやフランス、オランダなどが進出し始めたころから
同乗しだしたようで、彼らはヨーロッパにはない珍しい植物、主に香辛料を求めていたのです。
ヨーロッパの人々は肉を食べますから、香辛料は臭みを消したり保存期間を長くしたり、
などなど、彼らにとっては何物にも代えがたく、のどから手が出るほど欲しいものだったのでしょう。
家賃をお金ではなく香辛料で払う「ペッパーコーンレント」
という支払方法があったことからも推測できます。
有名なプラントハンターは、検定テキストに掲載されているイギリス人の「ジョセフ・バンクス」で
彼はジェームス・クックの初回航海であるエンデバー号に乗船して南太平洋をめぐり
各地で様々な植物を採集、イギリス本国に持ち帰って研究しました。
テキストではミモザやユーカリなどを紹介した、と書かれています。
「ジョセフ・バンクス」は日本ではそれほど有名な人物ではないですけれど
本国英国では有名な植物学者で、プラントハンターとして航海中に採集した植物を
詳細に観察し記録に残したりして植物図鑑を作ったそうです。
日本全国を回って植物を写生して植物図鑑を作った牧野富太郎みたいですね。
高知市にある「牧野植物園」はとても感じのいいところなので、私は大好きです。
機会があればぜひ一度訪れてみてください。
バンクスも有名ですが、もう1人ロバート・フォーチュンという人もいます。
「紅茶スパイ」とも呼ばれたらしいんですが、当時、中国がお茶の栽培を
独占していたため、とても高価だった。
紅茶の輸入をしていた東インド会社が、
東インド会社ヨーロッパのオランダやイギリスやフランスなどの各国が
東南アジアとの貿易、ひいては植民地にするために作った会社、今の株式会社の元と
なったっていわれてますが、、
その東インド会社が中国からお茶を買いたいけど、高い!
なのでお茶の木と栽培方法を知るためにロバート・フォーチュンを送り込んだ。
でも、当時の中国は港湾以外は外国人立ち入り禁止!
なのでフォーチュンは中国人になりすまして入国したらしいんです。
中国人みたいな顔だったんでしょうか??
ちょっと眉唾もんの話かもしれないんですけど、
でも、その後イギリスは植民地であったインドで大々的に茶の栽培をして
莫大な利益を生み出したわけですから、うまく中国人になりすましたんでしょうね。
なので、今、私たちはインドの紅茶を飲んでいるわけです。
フォーチュンは江戸時代の日本にも来たんですが、なんと
日本ではお茶の木がいっぱい栽培されていてビックリしたらしいし、
また森林が多い植物の宝庫、世界一の園芸大国と絶賛した、ということです。
日本の林業、園芸業が再興してほしいものです。